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「声小さい族」の同志へ

行きつけの書店に、極端に声の小さい男性の店員さんがいる。
ほとんどささやき声で、半分ぐらいしか聞き取れない。
とはいえ、内容は「1540円になります」「カバーはおかけしますか」「袋にお入れしてよろしいですか」「1000円以上お買い上げの方にプレゼントの応募券を差し上げております」「まず大きいほう3000円と、500円のお返しになります」等、マニュアルどおりの言葉ばかりなので、半分も聞き取れれば支障はない。
動作はきびきびしているし、あたりも柔らかく、感じもいい。
だから、何の問題もない。

――何が言いたいかと言うと、要するに、「何となく嬉しい」ということなのだ。
同じ「声小さい族」の一員としてシンパシーを感じると共に、「うむ、頑張っているな。声が小さくとも、しっかりと社会人として生き延びているな。生き抜いているな」という頼もしさ、ある種の誇らしさめいたものを、感じるのだ。

そうだ。
声が小さくたって、生きていける。
顔がまずくたって、生きていける。
脚が短くたって、生きていける。
服がださくたって、生きていける。
歌が下手だって、生きていける。
頭が悪くたって、機転が利かなくたって、不器用だって、何だって、かんだって、生きてはいけるのだ。
かつ、幸福に生きることだって、可能なのだ。

なかなか直せない欠点をくよくよするより、人生にはもっとやるべきことがある。
人生の限りある時間を、もっと有意義に使いたいものだ。

「声小さい族」ではあるが、彼も、私も、どっこい生きてる。

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