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2020年を振り返り、2021年に向けて決意を固める。

今年一年を振り返って思うのは、何とも中途半端な一年だった、ということ。
これもやろう、あれもやろう、と考えていたことの、おそらくせいぜい1割程度しか達成できていない。

例えば、英語。
おととし、ようやく、ついにTOEICで900点超えを果たし、945点を達成。
その翌年の去年、907点まで下がったが、からくも900点超をキープ。
今年はそうもいかないだろう、かなり下がるだろうとは思ったものの、受けた時の手応えでは「875点ぐらいかな」という感触だった、にもかかわらず、蓋を開ければ840点まで下がっていた。

職場では、とある試験を受ける機会に恵まれたが、一次試験であえなく敗退。
二次までは進みたかったのだが、何とも冴えない結果に終わった。

勉強も、進まず。ついていくのが精一杯。遅れ気味、遅れがち。ゼイゼイ。
観るべきもの、聴くべきもの、機会を逸しているうちに、取り返せないまま日々は流れていく。

おととし、ある文学賞の佳作に入ったが、去年は一次選考通過にとどまった。
今年もどうやら同じ結果に終わりそう。
最終選考に残っていれば年内に連絡が来るはずで、それが来ていないということは、たぶん。

何から何まで、ダメダメで、なんら成長できなかったように、思えてくる。

――という、ネガティブな振り返りはここまで。
以上は、できなかったことを、「できなかった」という視点から見たらこう見える、というお話。
実際は、やれたこともたくさんあった。

新しい仕事への挑戦もあった。
その中で、成長もした。
やりがいも感じた。
来年は、ますます頑張らねばならない。
やるぞ。闘志。

反省からの、教訓。
もう少し、いろいろちゃんとしよう。いろいろというのは、つまり、人として。つまり、人間としての成長。精神的に、もっと、ちゃんと。
自分のことを考えすぎ。
来年はちゃんと、周りの人を生かすこと、伸ばすこと、長所を発揮して貢献してもらい、それぞれに自己重要感を高めてもらうこと。
そういうの、ちゃんと考えよう。
心を広く、おおらかに、長い目で、温かく。
そういう、ちゃんとした大人を目指そう。

それから、今年果たせなかったもろもろのことについて、もう少し勤勉に、きちんとやっていこう。
ついついサボるのは、志が低いからでもあり、習慣化が甘いからでもある。
志をしっかりと把持し、明確な目標を掲げ、習慣づけてメカニカルにこなしていくこと。
一日一日、進めていくこと。

小説を書くことは、諦めない。
だって、伝えたいことがあるから。どうしても伝えたい、私でなければ伝えられないことが、あるから。だから、書き続ける。

勉強もする。英語も、もっとちゃんとやる。
すべては、一つのところに収斂する。
伝えたい。伝えなくてはならない。
私が伝えたいのは、人には幸福になるための方法がある、ということ。
どんな人でも必ず幸福になれるし、その権利があるし、また、そうでなければならない。
幸福に生きる、ということは、絶対の正義だ。
誰もが、幸福にならなくてはならない。絶対に。
そのためなら私はどんなことだってする。

だから、書く。
そのために、学ぶ。経験を積む。考える。探る。あらゆることを試み、あらゆる手を尽くす。

それが、2021年の抱負だ。

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およそ1年ぶりにTOEICの試験を受けたわけだが。

さて、恐ろしく久々の更新だが。
今日(2020年11月30日)は、およそ1年ぶりにTOEICの試験を受けた。
おそらくは前回より点数が下がることが見込まれたため、受けるのはひどく憂鬱で、しかしどうにか時間に間に合うべく会場へ向かった。
しかし、電車に乗り込んでから気づいた、忘れ物をしたことに。
そう、老眼鏡。
私は普段は眼鏡をかけないのだが、英語の試験の時だけは、老眼鏡を使用する。
視力は左右とも1.5をキープしているが、いかんせん、英語の文字となると、「b」なのか「h」なのか等々、ぼや~っとして見づらいのが現状だ。
日本語なら、多少ぼや~っとしていても、文字の形である程度推測できるのだが、英語ではそうもいかない。
ゆえに、ここ数年は、英語の試験の時のみ老眼鏡を使用するのが常となっている。
ところが今日は、受けるのが億劫、という気持ちとの闘いに気を取られすぎて、眼鏡のことまで気が回らなかった。
電車内でそのことに気づき、「終わった……」と思った私。
ただ、私は実は同じ老眼鏡を二つ持っていて、一つは持ち歩き用、一つは自宅に置いておく用、としている。
ほとんど使わないわりに二つ持っているのも変な話だが、購入した時は、もう少し頻繁に使うかと思い、そうしたのだ。
ところが、使わないままカバンに入れて持ち歩いていたほうが、ある時見てみると、壊れていた……。
片方のツルが、外れてしまっていたのだ。
なので、英語の試験の時には、自宅に置いておく用を持っていかねば、と思っていたところを、忘れて出てきた、というわけ。
でも、その壊れたほうの、カバンに入れて持ち歩いていたものが、壊れながらもカバンに入れっぱなしになっているのではないかと、念のため探してみた。
ないだろうな、いや、もしかしたら、と祈る気持ちで探したところ、あったあった、ありました。
もちろん壊れてはいるが、何かテープのようなもので補修すれば、今日のところは一時しのぎにはなる。
ぼや~っとしたまま受けることを考えれば、はるかにはるかにマシだ。
そしてテープといえば、私は「布ばんそうこう」というものを持ち歩いている。
セロテープのような形状で、必要な分だけちぎって使うものだ。
会場に着いてから、その布ばんそうこうを用いて、眼鏡の補修を試みたところ、何とか使用に堪えそうなところまで持っていくことができた。
試験官の若い女性は、はたして私のその滑稽な眼鏡に気づいていたかどうか。
とにかく、試験を無事受けることができた。
受け終えてみれば、あんなに受けたくない気持ちでいっぱいだった試験が、意外と楽しかったと思えた。
要は、クイズを解くような、パズルを解くような楽しさがある、と思うのだ。
私、こう見えて(いや見えてないけどさ)、パズル的なものって目がないのよね。
ジグソーパズルとか、なにげに好きだったりするのよね。
その同じノリもあって、TOEICの試験、やっぱり楽しい。
うんうん、楽しめた。
結果は、まあ、たぶんそりゃ前回より下がってはいるだろうけどさ。
でも、楽しめた。
また明日から頑張ろう。
いろいろあるけどさ。
つまんないなとか思うこともあるけどさ。
頭ボケ始めたかな、人生もう終わりかなとかいろいろ思う時もあるけどさ。
なんで私に無断でそんな大事なこと決めちゃってんの、ふざけんなよとか思う時もあるけどさ。
でもさ、曲がりなりにも健康だしさ。
仕事もあるしさ。
求められてるしさ。
感謝もされるしさ。
ありがたい話じゃん。
贅沢言うなよこれ以上、私。
与えられてるものに感謝しようよ、私。
んだんだ。
そうそう。
与えられてないものを数える暇に、どんだけ与えていけるかを考えようぜ、私。
よっしゃ、やったるJ!!

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